Onshore-Offshore

相模湾から日々の雑多なことどもを

新型コロナ感染症(COVID-19) いつまで世界のパニックにつきあうか

 医療現場や保険所長会から新型コロナ感染症を指定感染症から5類相当にすべき、してくれ、扱いを変えてくれ(条例をかえてくれ)という提言、要望が出ていることに対して非難轟々な状況をみた。

諸外国は知らず、こと日本においては、3月ころから新型コロナ感染症は季節性のインフルエンザと同じか、それよりややリスクの高い感染症だという認識をずっともっている。しかし、インフルエンザと比べるのがナンセンスという指摘もある。

日本人の三大死因であるガン、脳血管疾患、心疾患、はじめその他疾患も新型コロナも最後は医療機関が対処するのだ。限られた医療資源の多くを新型コロナ感染症に分配して他に圧迫が押し寄せるのは許容すべきなのか?交通事故死者数と比べると、これもナンセンスだと言われる。しかし、それだって究極的には医療機関におくられてリソースを消費するのだからナンセンスとまでは言えないのではないか?

ここに来て(冬季になって)救急医療の逼迫も言われ始めているが、新型コロナ感染症が指定感染症であるために搬送者の陰性陽性判定にまず気を使わねばならず、その手間が現場を疲弊させていることもあるだろう。冬季は心疾患、脳血管疾患の救急搬送が増える。どこも受け入れ先がなく救急車中で亡くなるなどという例が増えるのではないか?そもそもコロナ以前でも冬季はそれに近い事例があったやに聞く。

新型コロナ感染症の致死率が他の2類感染症と同程度の致死率ならまだしもと思うが、どんなに高く見積もってもそんな致死率にはなり得ないだろう。医療行政、医療現場に負荷をかけ続ける指定感染症にふさわしい感染症なのかどうか考慮すべきだと考える。

ここ半年ほどずっと、季節性のインフルエンザも新型コロナと同じように症状が出た人を検査して濃厚接触者を洗い出しまた検査して、その結果を毎日報告させて陽性者数、重傷者数、死者数を毎日発表したら世の中どうなるのだろうと思っている。いまでさえこんな状況なのだから、毎年冬にはパニックに陥り恐怖し、毎年死者数に目をむかざるを得ないのではないか?しかし、我々の多くは毎年3000〜10,000という死者に注目してこなかったではないか。それは強いて言えばそういうリスクを社会全体で引き受けてきていたということではないのか?なぜ同程度(か少ない)の死者数の感染症なのに新型コロナには過敏・過剰になるのか?ワクチンや治療薬がいまのところ無いとはいえ、死亡リスクにそれほど差はないと言えるだろうに。

後遺症が、という話もある。しかし、いまのところ新型コロナウィルスの後遺症として認められたものは無いに等しいといっていいのではないか。そもそも、風邪をこじらせていつまでも具合の悪い状態やその他不定愁訴的な状態は多くの人が風やインフルエンザのあと経験しているのでは?とも思うのだが。いずれにせよ後遺症については断定的なことは何も言えない。しかし、医療行政上で最も重視されなければならないのは「死」なのだ。原因の不明確な後遺症ではない。話を複雑にすべきではない。

 

日本の三大死因は先に述べたガン、脳血管疾患、心疾患であるが、これらの病による死亡数も毎日報告されて報道されたらいったい世の中どうなるのだろうか………

 

医療は死を遠ざけるためにあると言えるかもだが、人が死ぬ原因は様々だ。資源は限られている以上、最も数の多い原因に注力すべきなのを忘れてはいけないのではないかと思う。誤解を恐れず言えば、日本においてこの程度の死亡率の感染症に多くの医療資源を割くことにつながる指定感染症扱いは資源の無駄使いになるのではないか?

一方で国際情勢上陽性者数の把握をやめられないことも理解はできる。できるがこのまま世界のパニックに付き合っていると、他疾患患者の死者が増加する懸念は大きくなるということも考慮すべきだろう。

 

少なくとも日本において新型コロナ感染症は、季節性のインフルエンザと同じく定点観測で感染者数を類推し、死者数はがっちり把握する5類相当の感染症だと考える。