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相模湾から日々の雑多なことどもを

彼らはサッカーをしているけど、僕らは1対1をし続けている

東京オリンピック 3位決定戦。メキシコ戦後に田中碧選手が言ったという言葉である。

田中碧選手の「彼らはサッカーをしているけど、僕らは1対1をし続けている」をスペイン視点で考察 | 佐伯夕利子オフィシャルブログ「PUERTA CERO」Powered by Ameba

準決勝、対スペイン戦。延長戦ラスト5分で日本はゴールに叩き込まれ負けてしまうわけだが、このゲーム後かなりの虚脱感に襲われた(おおげさだが)。

ロシア・ワールドカップでベルギーに負けたあとも虚脱感はあったが、また違うタイプの虚脱感であった。

ロシアでのベルギー戦は同点とされた2失点目でそれを感じた。昌子、長谷部がジャンプしたその頭上から叩き込まれたヘディング。階上から叩き込まれるような体格差に圧倒され、こんなのにどうすれば勝てるんだろうと思った。

今回のスペイン戦ではそれとは違い、前半途中から、ああこれは敵わないなという思いでずっとゲームを見続けていた。両者ともここまで同じような時間を戦って準決勝にたどり着いており、疲労に関するコンディションは同じとみていい。日本はホームだからキックオフが突然早まったことの影響もあるだろうが、それでもやや有利と考えていいのではないか。

最初の数分こそ日本は守備ブロックを前に設定して戦うのかと思えたがその後はほぼボックスに最終ラインを設定するいわゆるベタ引きになる。当初からのプランなのか、流れでそのように判断したからなのか、守ってカウンターの様相になった。

思い出したのが1ヶ月前のEuro2020でのスペインvsスイス。互いにボール保持を争い、スイスはそれなりに頑張ったけど、前半途中からスペインが巧妙に押し切りポゼッションが徐々に勝っていった展開。日本もそんな展開に持ち込めるかと思ったけど、あっさり数分であきらめたかのようにも見えた。蓄積した疲労を考えれば仕方がないか。

細かいことは省いて、その後日本はボールを奪取してもすぐに取り返されることを繰り返す……これを見てだんだん絶望感が……(絶望はおおげさか)

「育成段階でなにをトレーニングしてきたのか」の違いだなぁと感じた。田中碧選手が語っているように、個々ではそんなにやられているわけじゃない、しかし3人4人のグループでは明らかにやられている。

巷では森保監督に対する批判があるようだが、ことは代表監督一人の問題ではない。日本の選手育成の問題だと思った。もちろん監督人事にも問題はあるのかもしれないが、それは指導者養成という意味での問題であろうと思う。端的に言ってこのゲームに関して(日本人の)他の誰が監督として準備してきても結果は変わらなかったのではないだろうか。

選手育成、指導者養成の点であきらかに日本はメインストリームから遅れをとっていると如実に感じた。そういう意味での虚脱感だった。

 

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現在の監督批判(協会批判)の源流の大部分はロシアワールドカップ直前のハリルホジッチ監督の解任にあるのかなと思う。個人的には人事のことだから内情はわからないのが普通だし、日本協会には代表の試合を見に行く以外は今や一銭も払ってない身なので監督人事をとやかく言う資格などないと思っている。

が、ちょっと気になったので上記著作を今回読んでみた。戦術論は横において、この中で気になったところ

p162

日本サッカーにおける守備の問題点

・キャリアのはじめからマンマークか、基準がバラバラで曖昧なゾーンとマンマークのミックスでプレーし続けている選手が多い。精密なゾーンマークの経験や、ゾーンマーク基盤のDFを行うために不可欠なカバーリングを組織的に行う経験に乏しい
・そのため、代表クラスでもゾーンDFの理解度が低く、人に強く行った味方が空けたスペースを組織的にカバーし、閉じるといったプレーを持続的に行えない
・高い水準でプレーできる純粋なDHが不足している
・アンカーが必要となるシステムでプレーするチームが少なく、アンカーの適役が不足している。

 むかし、守備戦術としてのマンツーマンディフェンスとゾーンディフェンスはある種対立的に唱えられていたように記憶する。マンツーかゾーンかどちらが優れているか、端折っていうとそんな議論があった。

しかし、1982年スペインワールドカップFIFAテクニカルレポートでは、明確にこの二つは融合していることが記述されていたことも記憶する。そこには、マンマークをベースにしたゾーンディフェンスだとか、ゾーンディフェンスをベースにしたマンマークという記述があった。マンマーク志向の強いチームとして西ドイツが、ゾーンディフェンスを基盤とするチームとしてブラジルがあげられていた記憶がある。

それはいいのだが、上記引用のような問題はすでにスペインワールドカップ当時からヨーロッパ・南米の指導現場では問題意識として醸成されていたはずで、テクニカルレポートの記述がその証左になる。もし、上記引用のように、日本の問題として指摘されていることが本当なら、40年近く日本(の指導現場)では守備戦術に関してのマンマーク、ゾーン(スペース)マークの問題意識は共有されてこなかったのだろうか?

そんなことはないとは思う。特に朱書きで引用したところは著者とは認識を異にする。もし「精密なゾーンマーク」と表現さる具体的内容が朱書きにしたようなことなら、指導現場で行われていることを誤認しているのではなかろうか、という感想をもったが、ここでは深く突っ込まない。

言いたいのは、 例えば引用されているようなことでも、別なことでも、ヨーロッパでは育成現場で基礎的・基本的な事として指導され(徹底され)ていてる内容が日本では欠落しているのかもしれないという危機感をもったほうがよいのではないか、と言うことだ。

*1

 

翻ってオリンピックのスペイン戦に関して感じたことは、田中碧選手が言っていることは、ボール局面にグループとして関わった時に個々の振る舞い方が圧倒的に違うのではないかということであり、奪っても奪ってもすぐに取り返されてしまう様相になった原因はそこではないかということ(具体的になにが違うのかはまだ言語化できないが)。

これは一朝一夕に変わるものではなかろうし、監督人事云々の話で解決する問題ではないと強く思う。先の著作と田中選手の言から思い至ったのは育成段階から日本は遅れを取ってしまっている、ということ。

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それと指導者養成だ。

上記記事で本田が言及しているが、選手はヨーロッパで揉まれているが指導者にはそういう人が少ない。というか、ヨーロッパで指導現場に立っている日本の方はいるのだろうが、そういう人は日本では重宝されない(されていないと思う)。

そしてトップ人事も大事だが、育成期に関わる指導者にメインストリームの情報が伝わらないことには世界のトップで通用する選手は出てこないのではないだろうか?ということ。

Jクラブのユース、ジュニアユース年代を指導しているような人材を海外研修にドンドン出して、ヨーロッパの生の現場を見聞するような仕組みが必要ではないだろうか?

 *2

トップに優秀な外国人監督を据えて、足りないものを注入すればよいのではないかという考えもあろうかとは思うし、過去の外国人監督はそういう意図もあって起用してきたのだと思う。海外でプレーする選手は外人監督の要求に高いレベルで応えられるだろう。当面はそれでもいいとも思う。

しかし外国人が監督の場合、育成現場にはノウハウが降りてきにくいと思う。トップだけを強化するのは東京ーメキシコオリンピック時に日本が取った方法で、メキシコ後28年間日本サッカーは低迷した。まさかその轍はもう踏まないだろうが、よほどオープンな人物を呼んでこないと指導現場には情報が伝わりにくいだろう(クラマー氏は厳格かつ非常にオープンな人だったようだが)。

 得点差だけを見るとそれほどではないようにみえるが、この差は大きく、選手育成と指導者養成の現場をブラッシュアップしないとますます差が広がってしまうような気がする。

*1:余談だが、現場感覚としてはマンマークとゾーンを分けては考えていないと思うのだが、上記のように未だに日本ではそこを対立概念のように語られていることにも問題があるのではないだろうか?

*2:アジアには派遣しているようだが、意味合いがぜんぜん違う